2020年04月26日

コミックだからわかる! 相手の本音を見抜く仕事の心理術(メンタリスト DaiGo)/漫画だからすんなりと読めるけれどあまり頭に残らなかったかも


メンタリストDaiGoの本は電子図書館でも大人気で、予約人数んが半端ない。そんな中でもあっという間に順番が回ってきたので不思議に思いながら読み始めたらあっという間に読み終わった。結局その日のうちに返してしまった。私のあとも5人とか6人の予約が入っていたけれど、ぼーっと2週間いっぱい借りるような人がいなければ、どんどん回っていくんじゃないだろうか。

とても面白くて読みやすくて言うことなしなんだけれど、思い返してみるとどうにも印象が薄い。心理学的ノウハウものというのは、もしかしたら従来通りの文章によるもののほうが頭に残るんだろうか?それとも私だけの現象なんだろうか?

もしかしたら就職活動〜仕事のし始めの人たちにはものすごく響くのかもしれない。

良書には違いないとは思った。

コロナ騒動は人工ウィルスだとかいろいろと言われているけれど個人的には人工だろうと自然災害だろうとやることは一緒だ。そして我が家的に反響が大きかったのは図書館とのかかわりだったのは確かだ。電子図書館は良い。最初は電子書籍そのものに戸惑ったし、なによりも紙で作られるいわゆる「本」というものが手の上にない心もとなさに振り回されていたのだけれど、だんだんと快適さのほうが上回ってきた。黎明期から電子書籍を絶賛している先輩がいるのだけれど、やっと気持ちが少しわかってきたような気がする(○^.^○;)。



コミックだからわかる! 相手の本音を見抜く仕事の心理術
メンタリスト DaiGo
KADOKAWA
2017/7/27

コミックだからわかる! 相手の本音を見抜く仕事の心理術

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2020年04月20日

メンタリストDaiGoの「あなたを変える52の心理ルール」/手元に置きたくなる1冊、とてもわかりやすくて実用的でよかった


電子図書館は3月中は閑散としていて(利用者が見かけ上少なくて)とても借りやすかった。が、新学期の新型コロナ休校が決定した4月にはもう予約でいっぱい。なかなか順番が回ってこなくなった。でもそこは電子図書館ならでわのルールがあり、2週間過ぎた本は自動的に返却になる。予約をしている次の人がさっさと借りることができるのだ。DaiGoの本は人気があり予約者がずらりと並んでいるが、このシステムのおかげで結構さっさと順番が回ってきた。

DaigoのYouTubeを見た人はわかるだろうけれど、ホリエモンのYouTubeと同じように題名に惹かれて長々と視聴した挙句に肝心な答えは「有料サイトをどうぞ」となる。すべてがそうではないのかもしれないけれど、私が見た(数は少なくてすみませんが)ものはすべてがそうだった。なので、申し訳ないけれど見なくなった。そしてこの本にはその肝の部分の答えがたくさん書いてあった。

この手の本のあるあるで、とても読みやすい。すーっと頭に入って実践もしやすい。作者がそこを意図しているし、その通りの本だ。

書いてある内容をかみ砕いたら、映像で見るDaigoが目に浮かぶ。あのようにすればよいのだな、と気が付く。

私個人的に印象深い内容としては「飲み会は中座したほうが好印象」だとか「SNSにプライベートをつぶやかない」、「ラベリングで相手を好みに変えられる」「陰口を言われたら勝ち」「件名に相手の名前を入れると開封率が上がる」「ノートを1冊にすると記憶しやすくなる」「場所を変えれば誰でも一番」など。とても気軽にさっさと実践できそうなノウハウが満載なのだ。どうでもよさそうな印象深い点といえば、あとがきもなにもなくぶつっと本が終わるところなんだけれど。

四の五の言わずにともかくも、Daigoと同じように外見(そとみ)を整えればよいのだ。そうすれば、その先の結果が向こうからやってくるかもしれない、と素直に思える。

若いころに読みたかったなぁ。まったく良い時代になったぁ。


あなたを変える52の心理ルール (中経の文庫)

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2020年03月04日

「いい人」でも人生に失敗しない方法(和田秀樹)/初めての電子図書。親の私からお先に体験!

電子図書というものを生まれて初めて読んだ。コロナ騒ぎで図書館が閉館してしまったので、電子図書館を利用したためだ。世の中は電子化が進んでいるので気になっていたし、紙ベースから移行できれば本棚不足問題も一気に解消する。良いことだらけだのはずだと思いながら読んだ。

で、電子図書の物足りない点

1、どのくらいの厚さの本をどのくらい読んだのか、実感がしにくい。
2、装丁などから得られる情報がない。
3、読み終えても読了した!という感覚が薄い。

このくらいかな。

慣れてしまうと解消してしまうかもしれないので、書き記しておこうと思った。

1と3は想像通りだった。予想外に大きかったのは2だ。本そのものの装いから得られる情報がこんなに大きなものだったとはちょっと意外なくらいだった。が、冷静に考えてみると当たり前かもしれない。本を手にしただけで得られる情報は大きいのだ。本の大きさ、使っている紙の性質、装丁、表紙のデッサンなど、文字を読まなくても文学作品なのかノウハウものなのか、和書なのか洋書なのかさえ、内容を知らなくても本を手に取った時にわかるようにできている。

それらの一切の情報が電子図書にはない。本の写真が付属しているので、それを眺めて想像するのが関の山だ。

で、気がついた。書籍というものを知らずに最初から電子図書を使う世代がいたとしたら?その人たちは「本」というものをどのように感知するんだろうか?

想像しようとしていて気がついた。音楽媒体がLPやテープ(アナログ)からCD(デジタル)に転換した際に人々が議論していたことがまさにこれだった。写真もそうだ。銀塩からデジタルへの移行時も相当抵抗する人たちがいたような気がする。

私自身は音楽も写真もデジタルから入った派なので、アナログへのこだわり議論はめんどいと思ってしまう。

そんな私なのに、書籍だけは紙ベースをどうしても捨てきれない。電子図書を読むと、本にする前のワープロ原稿を読んでいるような気分になるのだ。内容はしっかりと校正してあるのでもちろん1冊本を読んだ時と同じだけの情報量だし読了感もそれなりにはあるのだが。

が、1つだけやっぱり「いいなぁ」と思うことが読了後にあった。本をどこに置くか、どこにしまうか、図書館の本の場合はいつ返しに行こうかなどの雑事を一切考えなくてよいことだった。

これも音楽などの場合は私は最初から何も気にしていなかった。LPがCDになると「便利だ」と思っただけだったし、ダウンロード形式になった時にはもう興味もなくて買いもしなかった。そしていまやダウンロードもしないストリーミング形式だ。

映画などの動画映像も同様である。音楽も映像もワールドを構築したいときにはダウンロードするのが良いとは思うのだが、その際にもストリーミング形式であれば気軽にスキャンできるというものだ。便利になったなぁとしか思わない。

紙ベースの書籍という形から自由になった「本」という形態が発達していけば良いのかもしれない。



******************
さて、記念すべき初の電子図書だが、割とあっという間に読めてしまった。内容もシンプルだった。

「いい人」でも人生に失敗しない方法
和田秀樹
PHP研究所 (2007/4/30)
推定ページ数: 190 ページ

PHP研究所の公式ホームページによると「判型」は「四六判並製」なのだそうだ。全然詳しくないので調べてみると「単行本」とのこと。なるほどなぁ。やっと書籍としてのイメージがわいてきた。軽い紙の新書のような感じかな?と想像してみたらなるほど、内容もそんな感じだったなぁと気がついた。

多作の著者氏なので内容はどの本もそんなに変わらないのだろうから、切り口がいろいろなのだろう。「いい人」はほかの人も自分と同じように考えると思っている。なので、世の中には「悪い人」もたくさんいるのだということを学び対処することを覚える必要がある。そのようにして自分を守りながら「いい人」のまま生きるのが一番だ、というお話だ。

そういわれてみるとなるほどそうだなぁと思う。

子が小学生の頃、なにかあるたびにこの本と同じようなことを子に言い聞かせていたような気がするのだ。

「いい人」だからとかそうでない人だからというのではなくて、人は一人ひとり違う。最近流行の「アンガーマネージメント」が良い例だ。怒りの地雷も違えば質、量、頻度も人それぞれだ。

親子の間でもそうだ。

そんなことを考えながらしみじみと読んだ。

「いい人」でも人生に失敗しない方法  Kindle版 (電子書籍) ¥1,200





PHP公式ホームページ 「いい人」でも人生に失敗しない方法、書籍版の情報 → こちら
読書メーター 「いい人」でも人生に失敗しない方法 → こちら
   ↑皆さんの感想がとても読み応えがあります。


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タグ:電子図書

2019年03月05日

事故物件怪談怖い間取り/学校によっては引越を余儀なくされるか?と気になっていた時に予約した本

事故物件怪談
怖い間取り
事故物件住みます芸人 松原タニシ
2018年7月25日 初版発行
2018年10月4日 12版発行
二見書房

題名を見ただけで子は怖がってこの本に近寄らなくなった。

昔から家の間取り図が好きだ。見ているだけでどこにどういう家具を置いてどのような生活を営めそうか、見えてくるような気がする。それでなくても、間取りは大切である。モノとのかかわりも収納も間取りそのものだし、生活の動線は生活そのものだ。

子育てに良い間取りの本などを読んだことがあり、自説とぴったりだったりして嬉しかった。賃貸や建て売りだと間取りを気軽に変えることはできないけれどコンセプトを当てはめて部屋の使い方を普通とは変えるなどしてきたので、この本にもそういう意味で興味を持った。実際には内容はちょっと違った。が、大人気の本である。

ネットで賃貸物件を物色していると時々ものすごく安くてお得感たっぷりに思える物件に出会う。そういうのを選んで物色しているさなかにハタっと気が付いた。「事故物件」という言葉があるよね。

ネットでまたまた検索してみたところ事故物件を集めているHPを発見する。テレビにも出ているらしいので有名らしい。「大島てる: 事故物件公示サイト」。ほかにもネットで検索していると、こういう物件は危ないとか、コスパの悪すぎる街ワーストなんたらとか、結構出てくる。出てくるだけではない。解説を読んでいるとものすごく納得するというか、身に覚えがあるというか。その街に行ったときに感じた違和感が第三者の言葉として書かれている(既視体験に近い)。その一つに紹介されていたのかな、この本。人気らしくて図書館で予約したらやっと順番が回ってきた。

内容はまあ、怖いもの見たさ的なものだった。題名に「間取り」とあるけれど、間取り自体は本質ではなさそうだ。問題は建物とどこに位置した部屋なのかとか、立地なのだろう。

やっぱり科学的根拠はあるのだと思う。心霊現象と今は言われている現象を含めても。

奇妙な雰囲気を求めて全国を歩いて事故物件の写真を集めたら、それはそれで面白い写真集になりそうな気がする。廃墟趣味とか古戦場跡、工場の夜景見学に近い趣味かもしれない。あるいは怖いもの見たさか。ともかくも、そのくらいきっとなんらかの共通点があるにちがいない、という気もしてきた。

そんなある意味かすかにでも猟奇的な興味はともかくとして、不動産というものは借りるのならばともかく、買う場合はいろいろと考えたほうがやはりよいのだな、と改めてしみじみと思った。

結論。子育てするならば家賃をケチるのは得策ではなさそうだ。

この本、大人気。予約殺到で待っている人がいる。返さなきゃ。


事故物件怪談 恐い間取り

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大島てる: 事故物件公示サイト→ こちら



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2019年02月27日

マンガで読む人生がときめく片づけの魔法/これは!バイブルだ!子にも読んでもらおう絶対に


マンガで読む
人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
マンガ★ウラモトユウコ
2017年2月5日 初版印刷
2017年2月15日 初版発行
サンマーク出版

ものすごくよくまとまっている。一番わかりやすい。けれど、最初の本と続く実践本を読んだ後だからかもしれない。そこはもう読んでいないことにはできないので、わからない。

こんまりさん、ニコニコしててかわいらしくて本当に妖精か天使にしか見えないんだけれど、読んでいるうちにだんだんと京極夏彦のミステリーに出てくる京極堂こと中禅寺秋彦の水戸黄門の印籠のごとく毎度毎度執り行う「憑き物落とし」を思い浮かべるようになってきた(○^.^○);。

あるいは、思い込みを取り扱うトランスフォーメーション。

実際そのようなものなのかもしれない。

子が日ごろよく読む学習漫画と同じくらいの内容で読みやすい。これはもう、子をどうにかこうにか説得して今のうちに読んでもらおう。

もうすこし片づけるということを視野に入れた生活をしないと、あの性格だと大変なことになる。

ある程度自覚があるから iPad が好きなのかもしれないのだけれど。


これは繰り返し読むのが良い気がする。となると購読だ。本を買うと取捨選択するアイテムを増やすので、ここはもうKindle版に手を出すかな。電子書籍の世界に足を踏み込むかな、、、どうしようかな、、、m(__)m


飾っているという意識もないのに、ましてやそこに収納しているとかの意図も意思もなく目に見える場所に日用品を放置する感覚がよくわからない。そんな私には、どこにでもなんでも置いておく生活空間がどのような工程で形成されるのか、想像外のことだった。記憶力に衰えを感じ始めた今は、覚えておくためにあえてわかりやすい場所に並べて展示(?)しておくということはし始めた。出すべき重要書類、入出金など失念した時の損失が大きすぎるからだけれど、日用品を考えなくどこにでも置く人はそれこそ無限の記憶力があるからどこにモノをおいても大丈夫なのだと思っていた。

子は考えなくモノを置く。次の瞬間には座るはずのところに、今は空いているからというだけの理由で邪魔になったものを置く。これは、いわゆる考えなしという状態なのか、想像力の欠如なのか、感性の欠如なのか。そのようなことをする人が家の中に一人いるだけで、別の人にしわ寄せが行くことすら概念にない。子に聞いてみたところ本当に「無意識」とのこと。意識がない、記憶にもない行動なのだそうだ。そういうものかもしれない。

なのに目の前で片づけようとすると「このままでいいんだ!」としがみつく。その割には、知らないうちに片づけて使いやすくしておいたら目ざとく見つけて実にホッとしたような心から嬉しそうな表情を浮かべるのだ。

そんな子と付き合い続けて介入してもしても一ミリも改善せず、早い段階でこの分野では絶望していた。

絶望していたことに、こんまりさんに触れて気が付いた。

子は、「片づけを強要してはいけない乱雑好き」ではないようだ。

ということは、片づけられるようになる必要がある。

たとえ生まれ持った能力外の作業だとしても。

生きたいと思っている人生を思うとおりに生きられるためにも。


20190225_1.jpg

マンガで読む人生がときめく片づけの魔法

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公式HP、こんまりのときめき片づけDays → こちら







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2019年02月25日

その2だ、人生がときめく片づけの魔法2/こんまりさん各論・実践編〜子に伝えたい精神論満載


人生がときめく片づけの魔法2
近藤麻理恵
2012年10月1日 初版印刷
2012年10月10日 初版発行
サンマーク出版

子のことを産まれて以来延々と見続けていて思うのだが、人とモノとの関係というのは生まれながらの気質に近いものを感じてきた。環境次第で変化する因子(ファクター)ではなく、最初から決まっているのだ。まさかと思うけれど、これってY遺伝子に乗っかっているのかしら?と思うほど男の子の場合、丁寧な一家は丁寧だし、おおざっぱな一家はおおざっぱな気がする。今のところ例外を見ていないのだけれど例外はもちろんあるだろうし科学的な根拠を見つけたことはないのでただの個人的な推論なんだけれど。

こんまりさんは、人とモノの関係を儀式や作法にのっとって取り仕切る方法を開発したんだなぁとこの本を読んで思った。基調講演ないしは総論、あるいは精神論の前作「人生がときめく片づけの方法」と違ってこの本は各論ないしは技術論なのだが、各論の1つ1つを読み砕くにつれて儀式や作法の向こうにある気持ちの持ち方が伝わってくる。ここさえ外さなければ各論に関しては個々のやり方に少しずつシフトしていっても良いのかもしれない。こんまりさんも時々クライアント宅での出来事でご自分のやり方を変化させていることからも、具体的なやり方そのものに偏重した(こだわりの)価値観は見当たらない。

新しいことがらとしては、同居している家族へのモノへのありよう。人の「ときめき」を許容しようという話。お互いに区切って不干渉が一番というようなことが書かれていた。それから、「片づけたくない人に片づけを押し付けてはいけない」ということも。「自分とは違う価値観の人も、そのまま受け入れられるようになって初めて片づけの官僚といえるのかもしれません。」とのこと。深い言葉だ。

「家族のモノが気になったときは、とにかく自分の片づけに集中すること。」←これも名言。

これは片づけに限らない。人に腹が立ったり何かが気になったときにいつも思うのだが同じ経験をしてもなにも思わない人もいるのだということに思いを広げないといけない。気になっているのは自分なのだ。私の場合は「自分が(気になっている)相手のやっていること(気になっていることと同じこと)をやってみたらどうだろうか」とか「同じことがもう一度起きたら自分はどう反応を返せばすっきりするのか」を考えると気持ちがとても落ち着くのだ。

「子どもには『服のたたみかた』を教えるとうまくいく」というのも納得。

先日、急に大きくなった子を見て急いで子を子の部屋に連れていった。そして嫌がる子をなだめながらもクローゼットから服を全部出させて1着ずつ試着。すると半分以上サイズアウトしていたのだ。その量の多さを見てさすがに子も駄々っ子を引っ込め、積極的に次々と試着を始めた。が、問題はここからだった。大丈夫なものを片づけるときの子の手元の心もとないこと。びっくりした。衣類を床に思いっきり広げるところから始めて畳みかたを伝授したところ、子の目が輝いたのだ。それからあとは言わずもがな。子は一人で全部さっさと片づけてしまった。その満足そうな表情をみるとこちらまで幸せな気分になった。勢いに乗って処分モノの分類(捨てるか掃除に使うかリサイクルショップに売りに行くか)まで一緒にやってくれたのだから親としてはこれほど幸せな時間もなかった。

そして最後、「思い出のモノがときめくモノであればあるほど、モノは思い出を吸ってくれる」「モノは自分の分身です。「でも、モノがなくなっても、思い出や記憶は永遠に残る」

「これから過ごす一日でも多くの日が、大切なモノを大切な人たちに囲まれた、ときめく一日になりますように。」

あとがきの
「片づけとは、結局、自分を見ることです。だから、つらい瞬間もあります。今までため込んできた分だけ、物理的に時間もかかるし、体力も使います。」


「おうちにあるモノは、一つ残らず、持ち主であるあなたを幸せにしたいと思っています。いつも守られているんだなあとか、このままでも満たされているんだなあとか、そのことがまた思い出せたら片づけを再開してください。片づけは、過去の自分を否定することではなく、今の自分を認めてあげるためのこそ、するべきなのだと思います。片づけの魔法で、あなたの毎日がときめくお手伝いが少しでもできたのなら、これ以上の幸せはありません。」

とことん何かを探求して答えを見出した人の後光の射すような言葉だ。


20190224.jpg

人生がときめく片づけの魔法2 改訂版

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↑借りたのは改訂版ではないけれど。改訂版はKindle版があるのでリンクしておいた。



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2019年02月23日

人生がときめく片づけの魔法/こんまりさんがアメリカで流行っているらしい〜中受終了後の後片付けと新生活への節目に向けて。


人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
2011年1月15日 初版発行
2011年6月15日 第15刷発行
サンマーク出版

引っ越し屋さんに言わせると我が家はモノが多いらしい。が、見た目はかなり閑散(?)としている。家が狭すぎて収納場所が確保できないとか、忙しすぎて時間がないという悩みはあっても、そういえば路頭に迷ったことはない。

あふれているものをあえて言うならいわずもがなの「本」。本棚を買い足せば解決する。が、少しでも余裕があると躊躇なく買ってしまう。引越のたびに何百冊もの本を処分してきてこの量である。あれが全部いまも我が家にあれば幸せなんだけどなぁと脳内夢想することもよくあるのだけれど、一方では全部なくても困らないことも知っている。

これから読む本は借りるかKindle版などにしようと思うのだが、丁寧に装丁された本を手に取ると決心が鈍る。手放したことを何十年も後悔してメルカリで見つけて手に入れてほっとした本。装丁も挿絵も実に美しい外国語の古書だから手に入れ直すのもあきらめた本。自費出版、ローカルな小冊子。古いものほど作りが丁寧で情報量も多いような気がして手放せないし。

本だけでなく、大昔編集して繰り返し聞いていたカセットテープ何百本とか、手放したCD、DVDなども今でも時々手に取ってみたくなる。

さて、前回の記事のように我が家も中受が終わった。

同じような境遇のどのお宅も同じだろうけれど大量の紙ものが山積みだ。といってもご存のように塾には行っていないし、模試などはとっくに処分済み。微妙な書類などもすでにシュレッダー入り。過去問の厚い冊子などは前向きに処分する方向でそれ専用の山(=大量の本(!)の山)の隅にとっくに積み上げてある。

問題は子が頑張って日々取り組んだZ会の月々の冊子である。わざと毎日何度でも前を通るような場所に積み上げてある。「邪魔だなぁ」と思う時が来たら処分するタイミングだ。つまり、処分しにくいと思っている。手放すんじゃなかったなぁと後悔しっぱなしの二度と手に入らないあの本この本の幻影が脳裏をかすめるのだ。

時期が時期だけにはやくしないと、すぐに学年の変わり目だけでなく小学生の最後がやってくる。片づけ難易度が急上昇してしまう。

そこにこの本である。

アメリカで「こんまり」ブームなのだという。「こんまり」って何?って聞いたらこの本を紹介された。育児と仕事で座る暇もなくてテレビをほとんど見ていなかった3.11前後に、日本でこの本が大ヒット。テレビでも大活躍。連ドラにもなったとか。それが世界に広がりアメリカで「日本人は本当にきれい好きなのね」と現地の皆さんに突っ込まれて肩身の狭い思いをしている邦人のみなさん、みたいな構造があっちこっちに発生しているということだろうか?

アメリカといえば、欧米の家屋は家具類に生活用品のすべてを収納できるように設計されている。家が建つ段階ですでに物の場所が決まっている。だから家具付きの賃貸家屋や、家具付きで売り出している家などがあるわけだし、他人の家に行ってもどこに何が収納されているのか大まかに想像できるくらい、収納に関しては定型がある。

日本でも和室のみの日本家屋だとモノには定位置がある。ただ欧米家屋とは違うのだろうか。欧米に住んでいる日本人のお宅では、欧米流の定型の置き場を無視しているのをよく見かけた。欧米で日本人が家屋からあふれるほどものを持っているのを見たことがないので、定型に従って収納すればあっというまに雑誌にのせられるような美しい住居の出来上がりになるに違いないのだけれど。

ともかくも、読んでみた。すると、片づけられない人の思考がよくわかったような気がした。片づけられない人の典型のような我が家の子も、ものにしがみつく。両手で抱き込んで離さなくなる。文字通り物理的にしがみつくのだ。

「いいの!」と叫んでしがみつき、空いている(ように見える)空間を見つけて放り込む。それをちょっとでも繰り返すと、押入れほどの大きな空間でさえあっという間にいっぱいになる。

放り込む前に1つ1つ分解するように小分けして「いる」「いらない」を決める、という作業が必要になる。これをとても嫌がる。決められないものは強制的に捨てるよと促すと、泣きながら「いるの!」「いらないの!」と叫ぶようにジャッジしてようやく物を半分くらいに減らす。そうすれば少しは片づけやすくなる。が、体積が半分になっただけだ。

何度も話したことがある。日本語の「片づける」という言葉があいまいすぎるのだ。英語では意外と「fix」をよく使った記憶がある。「固定」とか「元通り」とか「直す」「修理」というようなニュアンスの言葉だ。

定位置に一定量。

これに尽きる。

どういう空間にどのようにしながら住みたいのかを想像しながら。

と考えながら読んでいたらまさにそのようなことが書いてあった。嬉しくなる。

まずは捨てる

衣類、本、書類、小物、思い出品、、、と思っていたら、その通りのことが書いてある。嬉しくなる。

衣類は、トップス、ボトムス、アウター、靴下、下着、袋物、アクセサリー、水着や浴衣、スノー用品、靴、、、と思っていたらまたまたその通りのことが書いてある。嬉しくなる。

子供の捨てるものを親が見ないこと、という注意が書いてあった。とても納得なのだがいまのところは我が家では子が「不要」と認定したものをいったん親の部屋に移動させることにしている。その理由がまさにこんまりさんが「見ないこと」と書いている理由だった。親と子とでは思い出や思い入れが違うのだ。

といっても絶対に子の判断を親が狂わせてはいけない。子が自ら「不要」と認定した後で親が自分のために再認定するのだ。子は「不要」と認定したのだということをしっかりと認識しておく。ここ、重要と思った。

人にモノを上げるという行為に関して、こんまりさんは「善意を装いながら自分がモノを捨てる罪悪感を、ただ人に押し付けていただけ」と断言しています。これ、ほんとう。

我が家は、ものがあふれるお宅から長年大量にものをもらってきた。複数個所から集まるのでものすごい量だ。おもちゃはもちろんそこのお子さんが飽きるまで遊んだ後なので、どこかが壊れていたり、ピースが足りなかったりする。それでも赤ちゃんであれば必要十分だ。衣類に関しても同様。小さいころであればあるほど状態の良い衣類はいくらあってもありがたい。ありがとうありがとうと嬉しく受け取っているうちに勢いはそのまま、就学後もものが送られ続けた。すると少しずつ子も自分がなぜそんなに物持ちなのかがわかってくる。ほとんどが自分の好みとはわずかずつズレていること。そのほとんどがリサイクルショップには持っていけない程度の欠損のあること。欠損があるので最後まで十分に遊びきる達成感を得られないことも。

よいところに住んでいたものだ。家と保育所の往復経路にずばり、高額買取をしてくれるリサイクルショップがあった。育児にかかわることのほとんどは新品を探す前にその店に行ってみるのが巷の定番になっていたほど使い勝手のよいお店だった。

持っていけないものは需要のあるところに配ってもらえる友人のところに送った。大きな箱に何箱も何箱も。そして最後に、親戚のところに子どもが生まれたのが子の就学時と重なり、本当に大量のおもちゃを送った。ミニカーが何百個といえば少しはそのすさまじさが伝わるだろうか。その上またがって遊ぶ車やなんとかウォーカー、豆いすに至るまで送ったのだった。けれどどれだけ処分しても、送られてくる量は増える一方。すさまじいスピードで、すさまじい量のモノが溢れていった。

そしてそのころになると、くれる人のほうもこんまりさんの言う通り、捨てる罪悪感を薄めるために我が家に何でもかんでも送ってくるんじゃないかとかすかに思うようになった。肉親と違って純粋な善意の中に次第に混じっていった、という微かな雰囲気ではあるのだが。

大学のために家を出たときに親が持たせてくれたものを思い出す。親が家の中を探し回って引っ越し荷物にいろいろと混ぜ始めた。嬉しそうに生き生きとした様子でくれたものほど結局使うことなくきれいなまま、何度目かの引っ越しの間に姿を消した。

後日帰省の際にもどんどん持ってくる。「いらないものをくれているんじゃないよね?」ととっさに言ったことがあった。即座に「失礼な!」と返ってきた。が、それ以後は一切何もくれなくなった。こんまりさん大正解だ。

「本」に関する捨て方について期待して読んだのだが、全部いったん床にだすのがコツのようだ。そういわれてみればそうかもしれない。なるほど。

次に「書類」。こんまりさんが「基本、全捨て」と断言するようにまだ少し甘いようで、もう少しスリム化できそうだ。

ちなみに年賀状だが、ときめくものだけをファイリングしてある年以前のものを全部処分したことがあった。今、それを後悔している。若いころに文通していた時のもらった手紙なども。なんであんなに威勢よく捨ててしまったんだろうか。どんなに邪魔に思ってもとっておけばよかったと後悔しきり。そういえばそういうことを主人公が後悔している小説を読んだことがあった。日本にやってきたイギリス人の女性の半生を描いたものだった。が、この後の思い出品との付き合い方に関してこんまりさんは、「空間は過去の自分ではなく、未来の自分のために使うべき」だと。これも納得する。するけれど、、、(笑)。

小物類の整理整頓の順番が書いてある。CD・DVD、スキンケア用品、メイク用品、アクセサリー、貴重品(印鑑、通帳、カード)、機械類う(デジカメ、コードなど)、生活用具(文房具、裁縫道具)、キッチン用品・食料品、その他趣味もの。

最後に整理するのは写真、永遠に整理整頓することのない大量の写真
「永遠に来ないお客様用」布団
信じられない「大量のストック」 歯ブラシ、ラップ、トイレットペーパー、綿棒

つまり、適正量

「適正量のカチッとポイント」

「ときめきでモノを選んで、自分基準で生活してみる」

読後の感想。

我が家の問題は自分でもわかっている通り大量の「本」と「CD」、昔のカセットテープ、VHSビデオテープ、そして大きくて重いアルバムに整理整頓された写真。

途中からはデジカメになったので印刷された写真は減った。が、今度は外付けHDDの中に何も考えずにストックされ続ける大量の写真がのしかかってくる。もちろん、空間を占拠することはないのでこのままにしておいても大丈夫なのだが。

CDもカセットテープも、ビデオテープもデジタル化するのが正解のようだ。時間をみて少しずつ、頑張るかなぁぁ、、、、(ためいき)。

あと、本は、、、、、

親(私)の本はもうあまり増えそうにないけれど、子の本は増えるばかり。これらもどこかの時点からデジタル化でお願いすることにしようかな。

子の読む本をデジタル化ってどんなもんなんだろう?

どのくらい読んだのかわからなくなるということはないんだろうか?子供の場合、親の目が行き届かなくなって危ないということはないんだろうか?課題は山積しているようだ。


さて、収納。

「定位置。」

英語の fix が示すように定位置が問題なのだと改めて思った。

まさにモノを選ぶときは自分の体に聞いてみて。モノの置き場所を決めるときはおうちに聞いてみるの言葉通りである。

鞄の中には鞄を収納するなんて基本だし、鞄の中のものを毎日出すなんて言語道断だ(きっぱり)。お風呂場にモノを置くのは、おけなかった下宿生活のころからの夢だった。やめる気はない。我が家では立てて収納するのは内容がすべて「済」である証拠になっているので「未決」のものは寝かせてあるんだし、重いアルバムを押入れにしまってしまったらどんなに立ててあってもそれこそ絶対に開かない(実証済)。

、、と内容にいちいち突っ込みを入れながらも楽しく読んで最終章(第五章)。ここからがこの本の神髄だ。

モノが人を表すのか人がモノを表すのか、ともかくもモノを動かすことは人の心理を動かす。家でも職場でも、家具のレイアウトを変えると何かが変わってくるのは確かだ。そのことに研ぎ澄まされているというのか、神がかっている人なんだろうというのがよくわかる。そのうえ、本当にものすごい数の人と家と片づける工程を見てきている。その蓄積は迫力だ。

最後の「本当の人生は『片づけたあと』に始まる」というのも子にさえ当てはまる。ちょっとでも自分の意思で取捨選択をして片づけると、本当に自分のやりたかったことが思い浮かぶらしいのだ。

遊ぶことにすべての時間を費やしたい気持ちはとてもよくわかる。だが、新しい生活が始まるまでに数日だけ、新しい空間を創造するのに費やすことにしよう。私が少しずつ仕訳をしておいてもよいのだが、処分するかどうかの判断は子がするべきである。

成長するにつれて身の回りに置いておきたいものは変わっていく。古いものを上手に処分して適度に空間を空けて、新しいものが入ってこれるようにしよう。

ちょっとだけ頑張ってみよう。

そんな風に声をかけてみよう。


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2017年02月07日

脚本分析/子育てやPTA、地域トラブルに役に立つ交流分析〜が、サンタが(汗)


Transactional Analysis SERIES 5
脚本分析
杉田 峰康
国谷 誠朗
チーム医療
昭和63年2月10日 第1版 第1刷
平成14年12月15日 第6刷

シリーズの5冊目である。交流分析の最終ゴールの「脚本分析」である。こんなに薄いのに1冊1200円もする。高いなぁ。

もちろん、シリーズ1巻目から読んだほうが良い。買った当初、シリーズを通して一読した。が、この手の本は時間がたつとあっさりと頭から内容が抜け落ちていくのがわかる。特に、個人的にどうしても頭に入らなかったのがシリーズ最後に扱っている「脚本分析」である。

また重要なことは、読んだときに自分が引っ掛かっていてどうしても見ることのできない箇所は、目が読んでくれないということだ。字ずらは追いかけていても、意味がまったく取れなくなる文章が存在するのである。なので、時間をおいて何度も読む価値がある。

「人生脚本」に関しては、子育てを始めてからようやく合点がいった(文字が読めるようになった)。子を見ていても納得することが増えたし、子を介して垣間見ることになったいろんな親子関係、PTA関係から学ぶものも多い。地域や近所づきあい、親戚づきあいが密になったので見えるその人の行動パターンなどを通して、現在のその人がなぜ今のような生活をしているのかが少しだけわかるという感じだろうか。

子は、物心つく前から脚本を1本作っていたような気がする。7歳の頃に周囲が少し見えるようになって夢が破れたらしい。半年くらいだろうか、糸の切れた凧のようにフラフラしていた。「人生脚本」は交流分析の流れからうける印象ではあまり肯定的なイメージがない。が、、脚本を失うと危ないのだということがとてもよく分かった。どんな悪い脚本も一気に消去するのではなく、少しずつ修正するのが安全なんだな、と子の危なげな様子をハラハラと見守りながら、しみじみと思った。

さて余談だが、本の中にこんな一文があった。

「スタイナーは、子どもに対して真実を曲げたり、それを隠したりすることは、値引きと同じぐらい好ましくない影響を与える、といいます。この種の虚言には、クリスマス・イブにサンタ・クロースが来るという習慣的なものから、テレビのコマーシャルやセールスマンの売り込み、、、、、」

子は現在小4である。サンタを信じている。そしてどこから聞いてきたのか「小4になったらサンタさんが来ないんだって、本当?」と聞いてきた。

サンタを当たり前のように信じさせてしまった母としてはわきの下を冷たい汗がたらーっと流れたのがわかった。

手に汗握る瞬間だった。

その瞬間、なんの考えもなしに口が先に動いた。

「ね、サンタさんに何を頼むの?来なかったときのために、それ、買ってあげるよ。」

ということで、子は夏を前にクリスマスプレゼントになるはずだったものを手に入れた。

けど、スタイナーによると、こういう親の虚言はよろしくない、ということだ。

あら、どうしよう(汗)。

子が生まれたときまで戻らないともうどうにもならない(汗)。

サンタがらみで2度目の、わきの下に冷や汗たらり、であった。


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脚本分析 (Transactional analysis series (5))

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日本交流分析学会「交流分析とは」  → こちら

 ↑ 交流分析のエッセンスがわかりやすくまとめてある。子育て関連ではまずは「ストローク」をコントロールすることに目を向けるのが一番かもしれない。何かうまくいかないときがあったら、自分が自分のどの自我状態で子と接しているのかを観察してみる。どうしても親密に交流できない、ヘンだと思うときは、「やり取り分析(コミュニケーション)」を考えてみる。一番気にしてみるとよいのは「交差交流」ばかりをしていないか?という点だ。

上から目線ばかりのいやなママ友や威張ってばかりの嫌味な親せきとは「交差交流」を意図して会話をバンバンと断ち切るのが効果的なようだが。もっと気を付けたほうが良いのは、会話をすることで「楽しかった!」とはならずにイライラなど不快になる場合だ。ゲームを仕掛けられている可能性がある。PTAでも親戚でも子相手でも。子相手の場合は、ゲームをせざるを得ないほど追い込んでしまった親の態度を反省する機会となる。が、PTAや親せき相手の場合となると、反省などしている場合ではなさそうだ。



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2017年01月25日

女は笑顔で殴りあう/ママ友対策はとても大切。 マウンティング被害から身を守ろう


昔々の話だ。目の前に座っていた人が長いジェルネイルを目の高さでひらひらさせ始めたと同時に、こんなことを言った。あらかじめ書いておくと、誰もその人の髪の毛にまったく注目していなかったし、何も言っていないのだが。

「髪ね、ぼさぼさだよね。行きつけの美容院ねぇ、昨日行っとこうと思ったんだけどぉ、トークの準備が間に合わなくってぇ。トークでこけたら最悪じゃん?人としての評価ガタ落ちだよねぇ。恥ずかしくってぇ、二度と行けなくなっちゃうよねぇ〜。そこ、気に入っているから、そうなったら困っちゃうしねぇ。この間親戚が集まってね。これも突然だったのねぇ。トークがねぇ。やっぱ準備って万端じゃないとねぇ。」

別にトークでその人を評価したりはしない。が、そんなところにまで気を配って自分を演出するのだなと感心しながら聞いたので、よく覚えていた。そして、この本を読んでわかったのが、この人のセリフの「機能」だった。

「行きつけの美容院」「トークの準備」「親戚が急に集まる」「準備は万端じゃないと」→プチ自慢。

「トークの準備が間に合わない」「こけたら最悪」「人としての評価ガタ落ち」「恥ずかしい」「二度と行けない」→プチ自虐→理想の高い自分を演出してトークに気を使わない人たちを落とす「自分が上よ」マウンティング。

無意識に自然の流れでこういう話をしたわけではない、ということだ。意図された「トーク」の一環だったのである。

この本、かなり以前に生協のちらしに載っていた。図書館になかったので買った。今回、本の整理整頓をしていて再度目に留まったのだ。何度読んでも新鮮だ。流行語のようでいて普遍性半端ないのかもしれない。マウンティングは最初は無意識に始めるものらしい。その動機はコンプレックスなのだそうだ

可能であればもう二度と会いたくない人って、いる。もう二度と行きたくない会合というのもある。マウンティストがいたのかもしれない、と気が付いた。

子育てをしているといろんな人に会う。一期一会だ。本当に身ぎれいにして美しい人たちがいる。お美しいなぁとただただ見惚れていた私は頭がお花畑である。「武装メイク」は戦闘開始の合図」なのだそうだ


マウンティスト・タイプ別
親友型、、、プライベートを詮索。根掘り葉掘り聞いた上で「親友だからあえて言うね」と。夫や彼氏のスペック、家賃などは恰好のマウンティングネタ。
カウンセリング型、、、「あなた、こうすればもっときれいになるとおもう。」「あんた私のようにすればモテるから」「おしゃレイプ」服をプレゼント。
プロデューサー型、、、「この人、こんなところが面白いの」「あなた、これやれば?」
事情通型、、、パソコン、「サブカルレイプ」
自虐型、、、ただの自虐や「腹見せ」との境は「ドヤ顔
無神経型(無意識型、、、「あなた、ちょっと薄幸そうよね」「陰のオーラが出てるわ」「今日は気合が入っていますね〜」
司会型、、、その場を仕切る。「ちょっと待って」と割り込んでくる。他の人には話しかけるのに一人の人を無視し続ける。司会型のマウンティストの最終形がバーか画廊を開く。バーや画廊はマウンティストにしたら恰好の餌場。

※マウンティングの意図のないフラットな会話であれば、ただの、人間関係のかかわり方の癖分類となる。そういうものと、マウンティングとの境はどの辺だろうか?と本の中では繰り返し考察している。

「相手にマウンティング仕掛けられても、コッチは返さないでいられる方法 (中略) こっちがリアクションするまでマウンティングされ続けることもある (中略) 応戦するぐらいしかスッキリする方法はないけれど、マウンティストと同じ土俵にあがってしまうと後からガクッとくる。これが、マウンティングの恐ろしいところ

マウンティングしたい要求を完全に封じると品がよく見えるという特典がついてくるのかも。(中略) 自分をよく見せたいとか、場を盛り下げたくないとか (中略) だけど、無理に他人が求める自分になる必要なんてないんだよね。」

かかわらないのが一番。ママ友トラブル相談Q&Aの典型的な答えのようだ。


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女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本)

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マウンティング女子の世界: 女は笑顔で殴りあう (ちくま文庫)

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 ↑文庫本が出るらしい。


「女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態」 → こちら
 ↑されたことがあるかも、と思った方の記事。対処法がすてきだ。

「女は笑顔で殴りあうを読んで」 → こちら
 ↑ご自分のマウンティング発言を分析して、マウンティングしまくりだった過去を反省なさっている記事。マウンティング発言の分析が、当たり前だけど、ものすごく的確。

「心のデトックス読書のススメ『女は笑顔で殴りあうマウンティング女子の実態』」  → こちら
 ↑していた自覚バリバリに芽生えた方の記事。自覚できる人なんていないんじゃないかと思っていた。なので、被害を受ける一方の人が対策として読む本かと思い込んでいた。自覚できるだなぁ、と記事を読んで、びっくりした。



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2016年09月08日

いじめを考える(岩波ジュニア新書)なだいなだ/仰天の本質論


岩波ジュニア新書271
いじめを考える
なだ いなだ 著
1996年6月20日 第1刷発行

自分にとって、あまりにも内容が新しかったので、20年前の本だと知ってびっくりした。この本を読んで初めて気が付いたのだが、私の気のせいだろうか?「いじめ」とは何かを、いままで誰かが教えてくれたことがあっただろうか。ことの本質に触れると困る人があまりにも多すぎるから、故意に伏せられてきたのではあるまいか?いじめているほうはいじめているという自覚がないだろうし、いじめられている側はなんらかの劣等的な感情からそれを隠そうとするのかもしれない。そのあたりの事情をほじくり出してから、今度は今の学校でのいじめの問題がなぜ生じているのかを考察している。

簡単にいうと、「いじめ」の歴史かも。

学校でのいじめの本質は、軍隊でのいじめの世襲らしい。学校の中でも体育会系にその名残がこってりと残っているのだそうだ。

そもそも「いじめ」の本質的なところを考えると、たとえば最近の流行の「毒親」は、いじめである。長女が犠牲になることが多い。兄弟の中で上に生まれているのにその権利をことごとく親にはく奪されて育つ。気が付いた時には家族の中で最下層に位置している。弟妹は親の庇護のもとで大きな態度を取っていて、当然のように姉に世話を求める状態が固定する。しかも、末っ子のようにかわいがられてもいないのだから生きづらいことこの上ない。その目的は、母親の奴隷を作ることにある。この本にはこのことはどこにも書かれていなかったが、読んでいたらそのことがとてもよく分かった。

さて、精神的快楽を得たいだけの場合はいわゆる「いじめ」(軽犯罪)、他者侵害(暴行、傷害や略奪、それ以上)を伴う場合は非行(犯罪)である。

そのように、しっかりと言葉にして教わっていないお子さんが、多すぎるんじゃないかな、とふと思った。


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いじめを考える (岩波ジュニア新書)

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いじめ総合対策サイト「いじめの中身は犯罪です」 → こちら
 ↑ しっかりと書いてありますね。いじめの内容がどういう名前の犯罪に該当するのか明記してあります。



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タグ:なだいなだ

2016年01月30日

「民族という名の宗教」なだいなだ/子育てに宗教はジェダイに通じるライトサイドか?

副題〜「人をまとめる原理・排除する原理」 (岩波新書) 1992/1/21

宗教というものがなぜここまで人々の間にはびこるのか、と気になって手に取った本。読み始めて気がついた。先日記事にした「権威と権力」の続編だった。「はびこる」という言葉を用いたことからもおわかりのように、私には宗教心がない。誰かのファンになって追いかけたこともない。クールといえばそうだ。

それが子育てをしていると、宗教の持つ厳かな雰囲気や教えなどが、実に子育てを助けてくれることに気がついた。そういうところから、キリスト教徒と仏教に縁あって近づくこととなり、気になってきたのだ。なぜ、人は 誰かのファンになるのだろうか。

キリスト教徒はイエス・キリストのファンクラブじゃないの?というと、知り合いの牧師に叱られるだろうか?あるいは大笑いしてくれるだろうか。で、これは私のオリジナル・アイディアだ!と嬉しく思って検索をかけてみてがっかりした(笑)。すでに気がついている人たちはいた! mixi にファンクラブもあった!びっくりした。

イエス・キリストも釈迦(ゴータマ・シッダッタ)も後光が射すようなカリスマだったのだろうな、と想像する。初めて会ったのに、ちょっと接触しただけの人なのに、ふらりとその人の後をついていきたくなるようなものを持っている人がいる。その人の持つ技術に惹かれる場合もあるし、その人が何もしていないのに、磁石に引っ張られるように近寄ってしまう場合もある。美しい人たちにはそのような人が多いし、容姿に関係なくフェロモンが出ているのではないかと目に見えないものを疑いたくなるような引力の強い人もいる。

そういう力に憧れる人も多いだろう。天才フリークとでも言うのだろうか、頭の良い人たちの中にはそれ以上に抜きんでた何かを持ちたがる人がいる。頭が良いだけでは地味な労働生活から抜け出すことは容易ではない。この世を俯瞰する立場に立てることも、おそらくはない。努力するだけ努力して学歴を上り詰めたからこそ、そのことを熟知して身に染みているのかもしれない。

またまた大流行りの「スターウォーズ」の話になるけれど、ジェダイやシスが使っている「フォース」は特殊な能力だ。フォースを持つ人たちの喜悲劇の物語である。生身では身体にほとんどなんの武器を持たない人間は、太古の昔からそのような神がかった力に憧れてきたに違いない。

個々には非力でどうしようもない人間が、巨大な体に鋭い牙をもつ生物を圧倒したのは、人間が集団を作ったからだという。

この本は、集団が出来る力学を噛み砕いて教えてくれる。

「権威」「権力」そして、宗教の話へ。下手な為政者や威張り散らしているだけの人に心ならずも服従するよりは、尊敬してもいいと思える宗教のカリスマにひれ伏すほうが、心の自由は保てる気もする。ジェダイに守られた世界で暮らせたら一番良いのにとは思うのだが。

それにしても、人間は巨大な群れをつくる鰯(いわし)や、集団で海を渡る渡り鳥のようなものなのかもなぁと、しみじみと思いながら。
  
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民族という名の宗教―人をまとめる原理・排除する原理 (岩波新書)

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読後、疑問が増えた。「宗教心」ってなんなんだろう?と思ったら表紙の折り返しに同作者の「神、この人間的なもの」という和波新書の宣伝があった。さっそく注文してみた。

神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)

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タグ:なだいなだ

2016年01月29日

「権威と権力」なだいなだ/ボスママ、乱暴なクラスメイト〜スターウォーズ・ダークサイド?

副題〜「いうことをきかせる原理・きく原理」 (岩波新書)  1974/3/28 

子育てをしていると、急に今まで気にも留めていなかったことが気になり始めることがあった。「権威」とか「権力」などもその一つだった。

ママ友を数人作って子育てをしながら遊び回ったのだが、誘ったり誘われたりと和気あいあいと実に楽しく過ごした。かと思えば、絶対にその人よりも前を歩いてはならないような雰囲気を作られてしまったこともあった。幼稚園でも、お稽古事でも、一定の割合でそういう人はいた。

私の目が学生時代の頃にこんなによく見えていたら、同級生たちがこんなふうに仲間を求めて、自分のポジションを求めてうごめいているのを見ることが出来たかもしれない。実際、育児休業明けて職場復帰した際に人間関係が透けて見え、びっくりした。そのことが自分の危機を救ってくれたことも多かった。

見えていなかった頃はどうやって世間を渡っていたのだろうか?そう考えるとひやっとした。

子が成長するにつれて、乱暴なお子さんとのトラブルなども出現する。そして、やがて知ることになるのだ。「ママ・カースト」とか「スクール・カースト」という言葉だ。人がそういうものに従うようになるのは、そもそもは「権威」付けに始まるらしい。

権威に屈することのむなしさを子に解くためにも、系統的にこれらのことを頭に入れておきたいと思い、検索してこの本を見つけた。

子育てを始めるまで、私はどうやら人の権威とか、権力などとは無縁の脳内生活をしていたらしい。知ってみればいたるところにゴロゴロしている。人間の集団のあるところ「権威」か「権力」か、どちらもかが必ず存在するものなのだということを、この歳にしてようやく知った。

けど、やっぱりわからないのだ。「権威」って何だろう?「権力」って?

このたび「スターウォーズ7」を子が見たいと言い始めて、私もようやく「スターウォーズ」の世界を知ることとなったのだが、なんというか、まぁ、仰天した。これこそが、「権威」と「権力」の物語ではないか?

この世にダークサイドがいなければ、調和した世の中だけでもやっていける。が、世の中は学校で説かれているような「性善説」では出来ていないことを早くから知る必要があるようにも思う。もっとはっきり言うと、「性善説」なんてクラス担任がクラスを平和にまとめやすくするための宗教のようなものだと思っておくくらいでちょうどよい。侵略者(例えば、かつての日本を含むアジアに対する欧米など)が現れた時にどうするのかということは、毎日教室で机を並べている同級生から、いきなりわけもなく殴られたらどうするのか、ということと同じだ。

42年前の本だ。小学校高学年で無理としても中学生の頃には出会っておきたかった。そんな良書だと思った。


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権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)

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関連する興味深いと思ったHP 、ブログ記事(覚書)
「なだいなだ『権威と権力』をめぐって」 → http://ichiboukouya.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-cff1.html
「出世したいなら捨てるべき「4つの美徳」」 → http://toyokeizai.net/articles/-/95623?page=2

  「権威」と「権力」という2つの力学を500年前に明確にしたのが「君主論」であると述べている。「君主論」をアマゾンで検索したら、漫画本がヒットした。この一連のシリーズはとても面白そうだ。子が中学生になるころを目指して、買い集めようか。


君主論 (まんがで読破)

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タグ:なだいなだ

2015年06月12日

お人好しの罠〜やさしい人が損をしない10のルール/ママ友関係に役立ちそうな1冊

どこで見かけて買ったのか、忙しさにかまけてまったく覚えていないのだが、気がついたら手元にあったので読んだ。面白かった。

ママ友関係に悩む前に読みたかった。が、ママ友関係がものすごいことになったから、この本が腑に落ちたのかもしれない。

なんといっても、ママ友関係の大方の揉め事は、搾取者と被搾取者(ボスママvs子分ママvsハブられ無視されママ)に限定される。「そんなことないわよ、大げさだわ」とおっしゃる方は、周りにボスママがいなかっただけだ。そういう人たちは平穏無事な子育てを満喫できる。うっかりボスママに迎合してしまった長いものに巻かれろタイプは、ボスママにへいこらするのにこりごりしながら子育てをする。そういうママたちは早く終わってくれないかと毎日をカウントダウンしている。幸いにもボスママと気の合った子分ママたちは、ボスママと一緒に天下を謳歌する。迎合しないママたちをハブくことで自らの結束を強固にしていく。子供時代の弱肉強食そのまま。よく言われるように、まさに猿山。

「ほんとうかしら?作り話じゃないの?」とおっしゃるのならば、子どもを産んで公園デビューしてみたらいいですよ。毎日幼稚園の送り迎えをやってみるとよーくわかります。

ボスママがいそうな雰囲気だったら、さっさと孤立を選んで巻き込まれないよう気を付けるのが一番。でも、そうするためにさえもテクニックが必要な世界なのだ。

つまり、ボスママが近くにいる環境では、気の合ったもの同士が和気あいあいと親睦を深めることが出来ないのだ。「本物のママ友」を作る環境ぶち壊しなのだ。

この本を読んで「当たり前のことしか書いてない」とか、「この世にはこんなお人よしがいるんだ、びっくり」と思う人は、ボスママかボスママ予備軍。お人よしではない当たり前に普通の人にとっても要注意人物かもしれない。

この本、単純すぎて極端すぎて合わないという人もおられるかもしれませんが、その分わかりやすい。

なにはともあれ、困っているママさん、一読を。



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お人好しの罠

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 伊達 一啓 PHP研究所  2014/6/12 ← ちょうど1年前に発売されたんだ!奇遇。



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2015年02月15日

さよなら、お母さん〜墓守娘が決断するとき(信田さよ子)/親子断絶 未然防止のヒント

カテゴリを心理学にしたけれど、育児書にしても良いのかも。子育て中、何に気を付けたらよいのか。子育てが終わるにつれてどのように子どもと距離を取ったら良いのか。まっとうな道を示してもらってもつかみどころがないという場合も、異常な場合をみせてもらえば、何がまっとうなのかがおぼろげながらに分かってくる。

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さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

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何が恐いって母親には、加害者意識がまったくない。一時、新聞をにぎわせた代理ミュンヒハウゼン症候群は究極かもしれない。

この本に書かれていた母親側の心理を凝縮すると、こうなる。

「この子は私が生んだのよ。けど、「よい母」としての世間からの評価はこの子を通してしか得られない。なのになんだか私の人生、選択を間違えたみたいだ。でも、「そうするしかなかった」のよ。そうよ。選択の余地はなかった。私は悪くないわ

↑ 著者による母親の心理描写は正確だ。ママ友が全く同じことを口にした。「生んだのはたしかに確かだが。生みたかったのよね。それだけではいけないの?世間からの評価を気にするからおかしくなるんじゃない?しかも、選択を間違えたことを直視せずにまさかの開き直り。守り育てるべき子どもを自分の生存のために利用してどうするのよ?それよりも子どもと一緒の生活をもっと楽しんだ方がいいんじゃない?生物としての本当の勝利とは、ありきたりだけれど子孫繁栄なんじゃないかしら?」と突っ込みたくなる。が、自分だって、これからさきの子育てが順調に行く保証は全くない。

以下、本より抜粋(中略有り、下線、強調文字、ブログ主)
 「そうするしかなかった」という選択不能性の容認はあくまでも他者によって行われるものだろう。

  彼女たちだって戦後民主主義教育を受けているはずであり、少なくとも一度は自分の人生を正面から考え、迷い苦しんだことがあるはずだ。なのに、あのぬれぞうきんのような、ガジュマルのような、芯がどこにあるのかとらえどころのない人生へと、なぜ転換してしまうのだろう。

世間を主語にする
  さて、人生の選択責任を放棄した人たちの多くは、「世間」と同化する道を選ぶ。目には見えないが空気の中に瀰漫し、ことあるごとに私たちを追い詰める、あの世間と同化するのだ。そうしたとたん、この上なく楽になる。世間を主語にして語ればどこでも通用する。「みんなそう思ってるわ」、と言えば自分の頭で考えなくても済む。世間体という分厚いカーテンの陰に隠れていれば指弾されることもなく批判されることもない。それどころか、カーテン越しに石つぶてを投げたとしても自分が投げたことにはならない。こうして彼女たちはなし崩し的に半ば無自覚に、世間と同化して生きていく。これを「おとなになる」と日本では言う。マジョリティ(多数派)はこうして形成されるのだが、実は同じ機制が学校においても働くことがある。詳述は避けるが、いじめの多くはこうして起きるのではないだろうか。
  母親たちのあの正体の掴めなさ批判するたびにその矢がブーメランのように戻ってきて自分を射てしまう理不尽さは、母と世間との同一化によって起きていると考えられよう。


さて、

母親から逃げたがる子どもは、子どものころから違和感を覚えている。成長するにつれて、なんらかの身体反応(眠気、頭重感、疲労感など)もあるはずだ。大人になると、自分が育った環境とは全く違う世界に接する。そして初めて、違和感の正体に気が付く。

こ ういう被害に遭った子どもは大変だ。精神の健康を失った場合はまず、その治療に莫大な時間と労力を消費させられる。その次には、自分の人生を取り戻すため に膨大な時間を犠牲にすることとなる。

生まれてこのかた、間断なく散々植えつけられたきた罪悪感(親が困っている、怒っているのは自分のせい)。(半分同じ血の流れている)自分の親がおかしいのだと判断しなければならない苦痛と罪悪感。親を捨てることへの罪悪感(ほとんどの普通の子どもは親を無条件に愛している)。罪悪感オンパレードだ。

(どんなに頑張っても完全に抜けることはない)間違った洗脳から抜け出す手間。マイナスをゼロにまで引き上げる作業の徒労さ加減。育ててもらうのではなく自分の力で無の状態から再び生まれ直して育ちなおさなければならないしんどさ。思い出(よい思い出だって当然ある)との戦い。モデルとなる大人像、愛情あふれる家族像を持たない手探り状態の心細さ。独り身の場合、あるいは夫に理解のない場合の孤独との戦い。二次被害の逃げ場のないきつさ。

親を捨てることは親だけにとどまらない。生まれ育ったなじみ深い家、土地、兄弟親戚、知人縁故すべてと切らなければ親とは切れない。すなわち、今まで自分で培ったものさえすべて捨て去らなければならない。一人夜逃げと同じことなのだ。多少の覚悟で出来ることではない。

その上、健全な母親がいれば当然得られたはずの、大人になってからの援助(実家の物理的、精神的援助)も一切得られない。場合によっては、モラハラ的な配偶者を引き寄せてしまう。人間としての旬などあっという間に過ぎてしまう。娘であれば女性という性に生まれたというだけで元々社会的にも弱者である。なのに、同性で味方であるはずの母親にまで女性性を否定され、踏みつけれられる。踏んだり蹴ったりである。

ミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)について
   「劣位の性」に生まれたことを自覚したときにその現実を抑圧ないしは否認(ミソジニーなどなかったことにしてしまう)→投影(女性が女性を差別する意識 が生まれる)「いやらしい」「媚びを売って」。簡単に言えば、性に関してマチュアでない、成熟していないのだろう。もっと簡単に言えば、幼い。分化が足り ないのだ。何事もそうだが、どちらのどんな性であれ、可能な限り早い段階で自分の性別を受け入れた方が人生楽しい。

   「女性であることの辛さを同性として理解できるのだとしたら、母は娘の人生を応援する側にまわってあげるべきだ。しかし応援と称して娘の人生に入り込んでしまってはいけない。しごくシンプルに、娘が幸せに生きることの邪魔をせんずにいよう、と思ってそれを実践するだけでも十分な応援なのだ。」

子ども側からなしえる対策
1、夫に防波堤となってもらう、、、母親の年季の入った演技力に要注意
2、「中立・客観的立場はまやかし」と心得る、、、中立的援助者は二次被害をもたらす。すなわち敵と同じ
3、逃げる、、、ほんの1週間でも意味がある。
4、関係を断つ、、、
  「長年夫との力関係、母親同士の上下関係をくぐりぬけた母親は、自分より強い力で迫られることに対して、一見従順である。そして相手の自信が少しでも揺らぐ瞬間を鋭敏に察知する。墓守娘はそこを突かれないよう、一点突破されないようにしなければならない。
  娘を決定的に失い世間体が悪くなることを何よりおそれているのであれば、その二点をストッパーにして、彼女たちの行動を制限しよう。主導権が娘のほうにある点が、逃げることとの違いである。」
5、少しずつ距離を取る
6、世代連鎖の呪縛を恐れない
7、謝罪の言葉を引き出す、、、母親が元気なうちは、無理

この最後の結論にも驚いたが、この本全体の中で一番ぎょっとした記述がこれだった。なるほど。

「母からの宅急便が怖くてたまらないという女性は驚くほど多い。」


最後の最後に、著者はとても大切なことを書いている。

法は家庭に入らず、つまり家族は無法地帯であることが誰よりもわかっているのが子ども(特に娘)なのだと思う

我が国が先進国の名に懸けて国を上げて平和と平等を唄っている法治国家である現在、見逃しがちなとても大切なことだ。「子供の人権」などという耳当たりの良い言葉に惑わされてはいけない。娘(場合によっては息子)にはまだまだ人権(人格)なぞないのだ。世の特に娘さんたち、日々自衛が一番である。

この本は続編だそうだ。本編は「 母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き 」という本だそうだ。著者はその本では「母親に理解してもらおうなんて思わないほうがいい」と匙を投げていた、と書いている。父親に関しては何をか言わんや。

子供は、親が気が付いてくれたというだけで救われる。たったそれだけのことで、それまで何があったとしても、すべてが勝手に水に流れる。その瞬間から止まっていた時間が動き始める。それまでてこでも動かなかった人生が、いきなり当たり前のように前進し始める。親自身がどんなに欠点だらけで不完全であったとしても、どんなにしんどくて辛くても、親が親自身の人生に責任を取ることの重大さ。親自身が変化を恐れずに柔軟に前進し続けることの重大さがここにあると思った。

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2015年02月14日

短編集「古い話」の「古巣」(和泉克維)/子育て中に人生を俯瞰した瞬間

新世紀の始まる4年前。1996年の秋、42年ぶりに古巣を夫婦で訪問した際の回顧話。先日記事にした長編「メダカ館」の話に触れている箇所がある。「めだか館」にはなかった場面もたくさんあり興味深い。本書にも「めだか館」にも一切書かれていないのだが、作者は1950年から「和泉熱帯魚研究所」を経営、日本グッピー協会の元会長と「グッピーの楽しい飼い方」(和泉克維、東京書店 2002/07/30)にある。

戦時中から詩を読み、同じく1950年、35の歳の時に、22歳のときに書いた詩を詩集として出した、と「古巣」の本文にある。「ラゴスの水際でその一篇を朗読した」とある。「私は泣いた。平和というもののありがたさ。ここには恐怖というものがない。」

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戦後を芝浦で過し、1950年から1980年までの30年間を都心の目黒でグッピーとともに過ごしてから一切を引き払っている。山本周五郎の「青べか物語」の時代〜遠浅の東京湾〜から埋め立て一方の現在の東京湾への変貌を、句集「水際」に読み、小説「古巣」の最後に一部を披露している。東京湾から東京ベイへ。小説「古巣」も、最初のほうに見るカタカナはグッピーの名まえばかり。が、最後になると、現在の日本を象徴するかのようにいろんなものがカタカナで表記されている。人が80を超えたときに何を見、何を考えるのか。シンプルに何事かに収束していくことは確かなようだ。


作中に、千田氏が出版したという本が3冊ほど紹介されていた。アマゾンに、あの濃い時代を濃厚に描いているのであろうことが伺われるレビューがある。
阿呆伝 (1958年)  中古価格 ¥1,500から (2015/2/14 21:06時点) 
志賀直三(著) 新制社 (1958)
アゴ伝 (1958年) 中古価格 ¥1,749から (2015/2/14 21:11時点)
大江賢次(著)新制社 (1958)
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真船豊(著)新制社 (1958)


↓ 一つの世界を極めた迫力を感じる一冊。

グッピーの楽しい飼い方

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タグ:小説

2015年02月13日

メダカ館(和泉克雄)/子育てしながら小説を読むと

さがしてもどうにも売っていないのだが、「メダカ館」という小説が面白い。和泉克雄(2002/07/03)鱗片社、¥5000。単行本で p.830 の長編。著者85歳ごろの作品だ。数年前まで、改良園の会報誌「園芸世界」に再連載されていた。この度本棚の整理整頓をしていて思い出したのだ。途中から読み始め、最後は中途で連載を終了されてしまった。手に入らないものと思ってすっかりと読了を諦めていた。


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主人公一家に着かず離れず存在をまとわりつかせる友人、千田光吉の存在感が異形なのだ。幼少時からメダカが大好き。戦中もメダカへの情熱を糧にして兵役に耐え抜く。戦後、デパートの屋上でメダカ(グッピー)を売る。その店のブラックモーリーに魅せられて主人公が客として足を止めたのがなれそめだ。主人公の飼育資材の注文を聞いて度胆抜かれた千田が個人売買を持ちかける。そうして長い付き合いが始まる。

銀座に「メダカ館」を作るのが夢だと熱く語る。戦後の動乱を浮いたり沈んだりしながらも図太く生き抜く。その姿は、したたかなのか純粋なのか。器用なのか不器用なのか。主人公一家の味方のような気もするし、危うくする存在のような。

そんな千田がひとたび口を開くと、意味深長な内容を断定的に延々と語る。戦後を埃っぽく語り、不気味にも思えるが的確な予言をする。気が付けば「メダカ館」ではなく出版社を作っている。ヒットを連発するが贅沢三昧。借金を作って姿をくらましたと思ったら今度は、、、そしてまた没落。唐突に東京湾から太平洋岸を伝って北上する旅を始める。そしてある日唐突に主人公の元に外国から手紙が届く。「ごぶさたしました。突然ですがテレビのクイズ番組に当たって二週間の、、、。」その手紙の中でもまた千田は突飛な、、、

所々に挟まれる五七五の句や詩が奇妙なリアルさを持って迫ってくる。

主人公一家は芝浦に住み、目黒に移る。グッピーの世界で一廉となり、執筆や講演もこなす。千田亡き5年後にメダカの世界から手を引くこととなる。

戦後の動乱からやがて浮かれるようなバブルへと向かう時代のうねり。念願だったグッピーに手を出してから、それが生業となり、やがて手を引くまで。およそ30年間にわたる「メダカ館」熱と出版とのかかわりの物語だ。

子育てをしながら読んだ「メダカ館」。人生というものを考えさせてくれた。淡々と日々をこなす人もいれば、時代を先読みしながらしたたかに生きる人もいる。浮いた暮らしをしていても大丈夫な人もいる。別に浮いていなくても見えない溝に落ちていく人もいる。淡々とした描写から登場人物たちの息遣いさえも聞こえてきそうだ。

「園芸世界」の雑誌を手に「メダカ館」に読みふける母の腕の中で、子がスヤスヤと眠っている。子もやがて大きくなる。この手を離れて一人で世間を歩きはじめた時、その目にこの世はどのように見えるのだろう。自分の中のどんな才能にすがってこの世を渡るのだろうか。そんなことを考えたことを思い出す。



和泉克雄氏死去 詩人 こちら → http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030901000433.html
hontoネットストア「メダカ館」 → http://honto.jp/netstore/pd-book_02233616.html

著者は、2010年2月1日、お亡くなりになられていた。「園芸世界」での再連載の終了した年だ。93歳。詩人。グッピーの第一人者だったとのことである。

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タグ:小説

2015年02月10日

「むなしさ」を感じたときに読む本(水島広子)/自分が自分のリーダーであるということ

角川SSC新書236。2014年11月25日の発行。著者の最新作。1度ですーっと頭に入ってくる類の本ではなかった。が、アマゾンのレビューを読むと、とてもわかりやすく、具体的でためになったという意味の書き込みが多い。私のほうがマイナーなようだ。ともかく、メモを取りながら読み進めてみた。巻末の「おわりに」のところにこう書いてあった。「本書を執筆するにあたってブレインストーミングのためのワークショップを開きました。」どうやってこんなにも手広くもれなく、繊細に考察できたのだろうかと思ったのだが、納得した。

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「むなしさ」を感じたときに読む本 (角川SSC新書)

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「むなしい」という感覚って何だろうか。虚無ならばわかる。どうせこの世のすべてのことに意味を付けているのは観察者である人間だ。本来、どんなこともそれほどの意味があるわけではない、、、が、ここで論じているのはそういうことではない。いや、そういうことに近いといえば近かった。「むなしい」とは。自分もブレインストーミングをしながら読む。

「むなしい」と感じるとき、人は自分を粗末にしているようだ。主体性を放棄するから「むなしい」と感じるらしい。責任の放棄である。だから、「生き方を変えるサインである」と著者はいう。

主体性を取り戻すためには、「与えること」だ。誰にだってよい。問題は対象ではなく、与えるという行為をしている自分が主体であることなのだ。だから何を「与え」てもよいといえばよいのだ。が、自分がしてほしいことを人にやってみたら。癒しを、ぬくもりを。たとえば人に与えたつもりでも実は自分で自分に与えているのだ。ここに主体性の回復と、自己肯定感、他者依存ではない癒しが同時に生まれるからくりがある。そして、どんな時も常に「今」に着眼すること。「今」ここにある、ということと「むなしい」という気持ちは同時には存在しえない。真理だ。「今」に向き合えば向き合うほど、「むなしさ」は消えていく(むなしさに限らない。ネガティブな感情のほとんどが消えていくだろう)。

メモを取りながら読み終えた。そうしたら、もうどんなことが起きても自分は大丈夫かもしれない、と錯覚しそうなくらい心の中が安定していた。

「自分がやってほしいことを人にする」のはゴールデンルール(黄金律)だ。が、自分がやってほしいことを人もやってほしいと思っているとは限らない。だから、相手の反応でことを判断をする必要はないのだと著者も言う。ゴールデンルールというものをどのように解釈したらよいのか、未だに迷う。が、主体性と自己肯定感、自家製の癒しの源泉になりうることを考えると、納得のいくことである。

以下、本を読みながら書いたメモ書き。あくまでも個人の自分用。本を写したわけではないので、意味が本の内容とずれている可能性もあります。


むなしさ=虚しさ=空しさ=意味が感じられない=中身がない
=生きていても仕方がない=生きていかなければならない理由がわからない
=このような「慢性的な」気分が続く時
=生き方をチェックするべきとき
=今の生き方では生命力がどんどん落ちてしまう
=生き方を変えたほうがよいというサイン

→生き方を変える
→自分の中から生命力がどんどん湧き出してくる
=「むなしさ」が本来の役割を果たしたといえる。


むなしさ=心がまいっている=癒しが必要
=外部からの癒しは一時的
=自分の中からやってくる癒しが、本当に自分を満たしてくれる癒し。

癒し=むなしさを手放すこと


やってもしかたがない=自分の人生をコントロールできない
期待と現実のずれ
選挙→社会をコントロールできない→ヒトラーが出てくる
自分が持っている「主権」を人権感覚のない危険人物に譲り渡してはならない
 自分の権利は手放さずに持っておく。

結果よりもプロセスを大切にする。(頑張ることそのものを楽しむ)
自分をいたわる。(自分を癒すプロセスを忘れずにする)
与えられるのを待つのではなく、与えてみる。
人に与えると同時に自分も得る。=自己肯定感を高める
「自分はこれでよいのだ」「これが自分の生き方だ」=自分を肯定できる気持ち
=本当の意味で自分を豊かにする「報酬」
むなしさが消え、自分の人生をコントロールしている感覚をつかめるようになる


心にぽっかりと穴があいたような「むなしさ」〜つながりや居場所がないとき〜
←先天的に決まっている性格の要素「報酬依存」とかかわりが深い。
「報酬依存」の高い人は褒めてもらいたい。低い人は一人が好き。
「安全な人」に少しずつ本音を話してみる
「安全でない人」=やたらと余計なアドバイスをする人、すぐに何かを決めつける人
=そんな風にしか人と関われない淋しい人。=よく不適応を起こして心を病む。

見返りを一切期待せずに、自分が欲しいものを人に与えてみる。(小さな贈り物、ボランディア
 人から関心を持ってもらえること → 関心を持ってみる
 必要とされている感覚 → 必要としてみる
 相手にされたい → 相手にしてみる。

むなしさと「今」への集中とは共存できない。
  むなしさを感じたら、「価値観を変えるべき時」である。=むなしさに浸りきるのは無益である
  「今」に集中すること。そうじ、整理整頓、お茶を入れて回る


「同じことの繰り返し」という「むなしさ」
好奇心の強い人、「同じことの繰り返し」=「むなしい」という評価を見直す。
「主体的になること」=「むなしさからの解放」

「同じこと」には価値がある。安定効果がある。新しいことを始める余裕が出来る。
精神修行にも使える。(丁寧な仕事を心がける=「今」)


「人生の意義がわからない」という「むなしさ」=「やりたいことを見つけよう」にまどわされない。
「何のために?」をやめ、「〜べき」にコントロールされない

自分という存在に意義が感じられない「むなしさ」
環境がどうであろうと自分の内心とは関係がない。自分の心の姿勢をコントロールすることは可能。
自分の心のモードを「欲しい」から「何を与えることが出来るか」に変える。

与える姿勢は万能である。
むなしさ=主体性の喪失→与える=主体的
自分にも相手にも与える。
主役を自分にする。
1、誰がどう思おうと自分は自分
2、ひどいことが起きたらまず、自分をいたわる
3、自分が主役であることを取り戻す
4、自分が自分に「尊重」「意義」を与える
5、人に気を使う程度には自分に気を使うこと。

むなしい=自分を粗末にしている。


変化に伴う「むなしい」
 喪失のときの「むなしさ」は感じているうちに薄まってくる。
 「加齢」による「むなしさ」=キーワードは「今」
リラックスできるものを見つける(頭痛、


社会(権力、父親)をかえていくには
 →変化はストレスである。「この人は何を恐れているのだろうか」と考えてみる。
 →そして共感してみる。
 →何かを失うことの「悲しみのプロセス」を支えることが出来るかもしれない。


衝撃によって引き起こされる「むなしさ」
 天災、DV、いじめ、裏切り=自分をいたわる
 自傷行為=それほどの衝撃を受けている=「暖かい放置
   ただ暖かい日常を提供してあげることが、とても大きな回復力を作る。
 厳しいことを言ってくる人たちは「〜べき」で生きているかわいそうな人たち。

重い病気による衝撃
 同じ病気の人たちと交流する

老後や死を意識し始めたことによる「むなしさ」 =「今」を大切にする

「むなしさ」が強すぎるとき=治療を受けることを自分に与える。


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2015年02月09日

国会議員を精神分析する(水島広子)/ボスママって、、、健全な自己愛を育てる大切さ

前著の講談社現代新書の「親子不全〈キレない〉子どもの育て方」を読んでから読むとなお面白いと思うが、これだけでも十分面白い。こうなってくると心理書にするか育児書にするか。分類に困る。同じことなのだろう。

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国会議員を精神分析する―「ヘンな人たち」が生き残る理由 (朝日選書)

中古価格 ¥220から (2015/2/9 19:05時点)



本書ではクロニンジャーのパーソナリティ理論を基に「自己愛性パーソナリティー障害(NPD、Narcisstic Personality Disorder)」への理解を深めている。本書は政治の世界をいかにしてよくするか、ということを論じている。個々の対処法は載っていない。

自己愛性パーソナリティー障害といえば、ヒトラーやカラヤンを持ち出すまでもなく身近にいくらでも存在する。セクハラ、モラハラ、モラ夫、DV、長男教、毒親、ボスママ、お局、マウンテン女子、ジャイアン。他者への共感性が極めて乏しい究極的に自己中心的な人たちの一群だ。

国会議員や有名人の場合はどうなのか知らない。が、一般には自己愛性パーソナリティー障害とかかわるのは、時間の無駄。性格をおかしくされる。全てを奪われる。積み上がるものがない、、、とにかく良いことは一つもない。

世の中でよく言われている対処法はある。可能であれば「初めまして」の段階で。何らかの違和感を感じた場合、意識して相手よりも上から目線で接すること。不快なことがあれば、その場で即座に明瞭な不快表明をすること。マイペースを保つこと。すなわち、カモにはなりえないことをアピールするのだ。そして、可能な限り相手の方からフェイドアウトしていただく。あるいは逃げる。

実体のある健全な自己愛を育てるのが子育てだと著者は言う。好みもあるので一概には言えないが、自分の子どもを自己愛性パーソナリティー障害に育て上げるのはどんなものだろうか。子孫繁栄にかかわる気がする。幸せな家庭なぞ望めない。

本書にはないが、もう一つ大切なことがある。自分の子どもをそういう人たちの犠牲者(ターゲット)にしないことだ。友達間での主従関係を容認しないこと。不快なことに関して「No」をはっきりと言う癖をつけること。マウンティングされたら手加減無用。世の中には他者への共感性に乏しい人が結構な割合で存在することを、日頃から話題にしておくこと。遭遇したときの気構えを日頃から叩き込んでおくことだ。

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2015年01月30日

「聴き方・話し方」のコツ(水島広子)/ママ友にも...もっと早く知っていれば(笑)

「対人関係療法のプロが教える誰と一緒でも疲れない『聴き方・話し方』のコツ」という長い題名の本である(2014/1/25出版)。この本は、真に優れたノウハウ本だ。実際にはそこまではうまくはいかないだろうとは思う。性善説に基づいているような気もするのだ。著者もそこかしこでさりげなく触れているが、相手を見極めたうえで事に当たるのが最善である。

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対人関係療法のプロが教える 誰と一緒でも疲れない「聴き方・話し方」のコツ

新品価格 ¥1,404から (2015/1/30 14:55時点)

人と話をするということは、日頃は無意識に行っている行為である。が、交流分析を持ち出すまでもなく、コミュニケーションには構造がある。自分が起こそうとしているアクションが、構造の中の何に当たるのかを考えると、効果的である、ということだ。そして、、、

この本の「はじめに」を読むと、この世にはコミュニケーションに関する本があふれているらしい。それだけ悩んでいる人が多いということだ。「でも、」と続く。コミュニケーションには「相手がいる」のだと言う。当たり前ではないか?そうだろうか。

目の前にいる「相手」をどのような「相手」として表すのか、ということなのだ。それは、話し手にゆだねられていることなのではないだろうか。更には自分である。自分をどのように解釈し現しているのか。そこにコミュニケーションに関する能動性の可能性を見るのだ。と、著者はもっとわかりやすい言葉で順を追って噛み砕いて教えてくれている。

はじめにーーーコミュニケーションとは、人と人のやりとり
第1章 コミュニケーション力とは?
         −−−コミュニケーションの役割を知っておこう
第2章 コミュニケーションの基本姿勢 「話す力」を身につけよう
第3章 コミュニケーションの基本姿勢 「聴く力」を身につけよう
第4章 「自然なコミュニケーション」をしよう
         −−−自分・相手・関係性の「限界」を受け入れようーーー
第5章 ストレスフルなコミュニケーションを上手にこなすコツ
第6章 自分の思いがきちんと伝わるコミュニケーションのコツ
第7章 コミュニケーションを自在にコントロールする秘訣
          −−−もうどんな状況でも大丈夫ーーー
第8章 集団を相手にしたコミュニケーションのコツ

まずはコミュニケーションの中に身を置く時の心得。どういう立ち位置で身を置くのかを考える。そして、それでよしとすることだ。次、コミュニケーションの相手を味方として現すこと。そして、どんな場合にも自分の領分を守ることがコツだという。相手の領分に立ち入らない。そして、領分に立ち入られたら対処することだ。自分の領分を意識すること。境界線を意識することである。

トラブルに対処する方法を知っていることが大切である、と書かれているのではないかと思った。こういう時はこうする。ああいうときはああする。それを反射的に出来るようになると確かに、人と関わることは怖くなくなる。そして、自分の領分と相手の領分の境界を意識することは本当に大切だと繰り返し言っている。 トラブルを未然に防ぐためにも、そしてトラブルが発生したときにそれ以上こじらせないためにも。

怒らせたら詫びる。こちら側からのコミュニケーションで気分を害したのであるから当然である。手を尽くして詫びるしかない。が、詫びを受け入れてもらえるかどうか。そこからは相手の領分なのだと書いてある。そこにしっかりとした線引きが出来るかどうかが、天国と地獄の境かもしれない。

もちろん天性の人がいる。そういう人をコミュニケーションの達人というのかもしれない。が、ノウハウを身につけることによってある程度は補えるのではないか?コミュニケーションというのはそういう分野の活動かもしれない。


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2015年01月23日

凡人として生きるということ(押井守)/生き難さを感じたら

学校対決15を読んだ。「うる星やつら」の「 ビューティフル・ドリーマー」を思い出した。すると、その映画の監督の著書を読んだことがあるのを思い出した。「凡人として生きるということ」だ。2008年7月出版。

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凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

新品価格 ¥821から (2015/1/23 14:19時点)

Kindle版が100円安く手に入る。うちも本がやたらと増えている。せめて大人の読むものだけでも電子書籍を考えたほうがよいかもしれない。家の中がすっきりとするだろう。

この本が衝撃的だった。「ビューティフル・ドリーマー」の監督の著書と知って、会心した。あの映画の中の人間関係模様そのものが描かれていた。

銘々が自分のやりたいことにしか興味がない。損得の一致した相手だけを認識し、損得の一致している間だけ手を取り合って戦う。一致しなくなればただちに、全く知らない人のごとくにまで相手の存在は掻き消える。相手のスペックはデータベースとしてその人の頭の中には残るのであろう。利害が一致すると、再び相手と視線が合う。利害が無くなると再びあっさりと存在が消える。ゲームの中に漂って生きているような感覚だ。

情とか、共有した時間とか、思いやりとか、そのようなものとは無縁の人間関係である。積み重なっていくものがないのだ。不毛ではないか?

でも、と気が付く。人間関係に悩んだり、こんがらがって面倒になって引きこもりたくなっている人たちにとっては?こんなシンプルな人間関係のありようも あり なのだ。

そう考えると、人間と人間の関係性というものは、相当にシンプルに考えることが出来ることに気が付く。そのことに気が付くだけで、身動きが取れるようになることもあるだろう。

アマゾンの「押井守」著書で人気度No.2(No1は2010/9/1出版の、「勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉」)、レビュー件数も2番目に多い(1番目は2011/1/31出版の「番狂わせ 警視庁警備部特殊車輌二課」)。Kindle版は、この本のみ。

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