2017年06月28日

ぼくらの奇跡の七日間(「ぼくら」シリーズ 横浜開港篇1)/ものすごい設定に惹き込まれる


「ぼくら」シリーズ 横浜開港篇1
ぼくらの奇跡の七日間
宗田 理
2008年7月15日 第1刷
2010年6月8日 第12刷
ポプラ社

「最後の聖戦」を最初に読み、次に「モンスターハント」を借りてきた子。しきりと話しかけてくる。「『奇跡の七日間』に摩耶は出てくるの?モンスター辞典は?ねぇ、教えてくれてもいいでしょう?!」

やっぱりその2つが一番気になるよね。でも、聞くくらいなら自分で読めば?

公立図書館で予約を入れて借りてきた。いつも使っている図書館に常設しているこのシリーズは、いつも借りられていて見ることがない。なので、別の図書館からの搬送である。すると、妙に綺麗だ。ほとんど読まれたことがないのではないか。

こんな人気シリーズを、ほぼ新本状態で読めるとは。幸せだと思う一方で、なんだかな、とも思わなくもないけれど仕方がないのだろうなぁ。

担任の、生徒たちをアジテートする場面はなんとも臭い。たとえ悪いことをしている人を対象にするのであってもゲームよろしく人狩りなどしてよいわけがないし、リンチは犯罪である。君たちは選ばれた、と言わんばかりの選民思想も危険だ。思春期特有の万能感をくすぐって暴走させて、小説のようにうまく収束するわけが、ない(ように思う)。

我が意を得たり、とシリーズにのめり込むか、んなあほな、と脇に避けるか。

これだからあの世代(どの)は疎まれるのだけど。作者はあの世代ではないのだけれど、こんなにもよく理解して共感しているんだろうか。今の若い人たちの中にも同じような考えの人はいるのだから、どんな世代にもいてもおかしくはないのだけれど。ということは、あの世代だけの特有の性質だと断言してはいけないのかもしれない。

抵抗のための抵抗。エネルギー消費のための仮想敵。そういえば、ママ友たちの間でも、学生の間でも、仲間意識を強固にするためにわざと敵を想定する、という技はある。順番に外しを行うのも同じことだ。このシリーズにそんな陰湿さがないのは、敵が徹底的に公然と「悪」であるからなので、そういう意味では健全だ。

敵対する側を結束させないために情報戦でかく乱して互いに反目させ合うということを実際にやっている保護者たちが実際にいる。それはそれは陰湿だ。が、戦国の時代の忍者たちの諜報活動はまさにそれだし、ひっかかって本来なら仲良くするべき相手に食って掛かって本当に内部から崩壊してくのだから、効果はあるのだ。だからこそ(?)時代を越えて洗練されて、脈々と生き残っている思想なのかもしれない。

『ぼくら』シリーズはそういうものだよ。その覚悟で読まなきゃ。それを楽しむの。」と子に言われた(笑)。なるほど。

とにかく、設定が面白い。よく考え付くなぁと感心する。謎が謎のままなのでちょっとすっきりするには物足りないのだけれど、子どもたちだけで楽しそうな様子は十分に伝わってくる。そして、子どもたちだけでやりくりしている間に、「ルール」は必要なんだということに誰かが気が付くあたりがとてもリアルだ。そして、これ以上長引くと自分たちの手に負えないトラブルが多発するであろうことを予測するあたりも、ぞくっとするくらいリアルだ。

舞台が私立の学校なのだから、転校生ではなく「転入生」だろうし、中途採用であれ新しい先生は転任ではなくて「採用」なんだと思うけど、気のせいかな。


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posted by kaho at 02:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | YA文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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