2015年02月15日

グレッグのダメ日記―ボクの日記があぶない!/グレッグはタフなサバイバー?

「グレッグのダメ日記2」を借りてきた!さっそく母も読む。読み終わる。「ええ?!なんで?もう終わったの???」終わったよ。面白かった!日曜日の朝、起きたら子は先に起きていた。ひとり居間で一心不乱に読んでいた。前記事で日本の家庭で娘として生まれることの理不尽さを洞察してみた。あまりの理不尽さ、憤懣やるせなさには、怒りや切なさを通り越して無力感さえ覚える。と、思った。が、上には上がある。

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グレッグのダメ日記―ボクの日記があぶない!

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3人兄弟の真ん中であるグレッグ。圧倒的な力(権力、体力、知力ともに)を誇る意地悪な兄と、これまた親の圧倒的な愛と保護を受けた要領のいい弟に挟まれて、サバイバルなんてもんじゃない。親の目を盗んでグレッグを利用しまくる兄。グレッグをとことん苛め抜く兄のやっていることはよく考えるとかなりえげつない。じゃあ、やられたのと同じことを弟にやろうとしたら。親の目が常に光っていて絶対に成就しない。

地域には兄の上を行くワルがうじゃうじゃ。親せき宅でも報われず。学校では、、、。友達関係も、、、。

主人公グレッグ。よくぞサバイバルしているものだ。

子は言う。「グレッグが一番マシ。お兄ちゃんは最悪だけれど、弟がねぇ。大きくなったらいったいどんな人間になるんだろうーねー。」なるほどなぁ。

あいかわらず「ダメじゃん」と突っ込みたくなることばかりするグレッグ。考え方、それで大丈夫?と思わなくもない。が、だんだんと応援したくなってきた。


第一話の英語版(原作)と、DVD2つ、買ってしまった(輸入盤ブルーレイのがあと1作ある)。日本語版を出ている分(現在のところ9冊)読み終えたら、一緒に楽しもう。

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posted by kaho at 15:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライトノベル的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さよなら、お母さん〜墓守娘が決断するとき(信田さよ子)/親子断絶 未然防止のヒント

カテゴリを心理学にしたけれど、育児書にしても良いのかも。子育て中、何に気を付けたらよいのか。子育てが終わるにつれてどのように子どもと距離を取ったら良いのか。まっとうな道を示してもらってもつかみどころがないという場合も、異常な場合をみせてもらえば、何がまっとうなのかがおぼろげながらに分かってくる。

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さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

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何が恐いって母親には、加害者意識がまったくない。一時、新聞をにぎわせた代理ミュンヒハウゼン症候群は究極かもしれない。

この本に書かれていた母親側の心理を凝縮すると、こうなる。

「この子は私が生んだのよ。けど、「よい母」としての世間からの評価はこの子を通してしか得られない。なのになんだか私の人生、選択を間違えたみたいだ。でも、「そうするしかなかった」のよ。そうよ。選択の余地はなかった。私は悪くないわ

↑ 著者による母親の心理描写は正確だ。ママ友が全く同じことを口にした。「生んだのはたしかに確かだが。生みたかったのよね。それだけではいけないの?世間からの評価を気にするからおかしくなるんじゃない?しかも、選択を間違えたことを直視せずにまさかの開き直り。守り育てるべき子どもを自分の生存のために利用してどうするのよ?それよりも子どもと一緒の生活をもっと楽しんだ方がいいんじゃない?生物としての本当の勝利とは、ありきたりだけれど子孫繁栄なんじゃないかしら?」と突っ込みたくなる。が、自分だって、これからさきの子育てが順調に行く保証は全くない。

以下、本より抜粋(中略有り、下線、強調文字、ブログ主)
 「そうするしかなかった」という選択不能性の容認はあくまでも他者によって行われるものだろう。

  彼女たちだって戦後民主主義教育を受けているはずであり、少なくとも一度は自分の人生を正面から考え、迷い苦しんだことがあるはずだ。なのに、あのぬれぞうきんのような、ガジュマルのような、芯がどこにあるのかとらえどころのない人生へと、なぜ転換してしまうのだろう。

世間を主語にする
  さて、人生の選択責任を放棄した人たちの多くは、「世間」と同化する道を選ぶ。目には見えないが空気の中に瀰漫し、ことあるごとに私たちを追い詰める、あの世間と同化するのだ。そうしたとたん、この上なく楽になる。世間を主語にして語ればどこでも通用する。「みんなそう思ってるわ」、と言えば自分の頭で考えなくても済む。世間体という分厚いカーテンの陰に隠れていれば指弾されることもなく批判されることもない。それどころか、カーテン越しに石つぶてを投げたとしても自分が投げたことにはならない。こうして彼女たちはなし崩し的に半ば無自覚に、世間と同化して生きていく。これを「おとなになる」と日本では言う。マジョリティ(多数派)はこうして形成されるのだが、実は同じ機制が学校においても働くことがある。詳述は避けるが、いじめの多くはこうして起きるのではないだろうか。
  母親たちのあの正体の掴めなさ批判するたびにその矢がブーメランのように戻ってきて自分を射てしまう理不尽さは、母と世間との同一化によって起きていると考えられよう。


さて、

母親から逃げたがる子どもは、子どものころから違和感を覚えている。成長するにつれて、なんらかの身体反応(眠気、頭重感、疲労感など)もあるはずだ。大人になると、自分が育った環境とは全く違う世界に接する。そして初めて、違和感の正体に気が付く。

こ ういう被害に遭った子どもは大変だ。精神の健康を失った場合はまず、その治療に莫大な時間と労力を消費させられる。その次には、自分の人生を取り戻すため に膨大な時間を犠牲にすることとなる。

生まれてこのかた、間断なく散々植えつけられたきた罪悪感(親が困っている、怒っているのは自分のせい)。(半分同じ血の流れている)自分の親がおかしいのだと判断しなければならない苦痛と罪悪感。親を捨てることへの罪悪感(ほとんどの普通の子どもは親を無条件に愛している)。罪悪感オンパレードだ。

(どんなに頑張っても完全に抜けることはない)間違った洗脳から抜け出す手間。マイナスをゼロにまで引き上げる作業の徒労さ加減。育ててもらうのではなく自分の力で無の状態から再び生まれ直して育ちなおさなければならないしんどさ。思い出(よい思い出だって当然ある)との戦い。モデルとなる大人像、愛情あふれる家族像を持たない手探り状態の心細さ。独り身の場合、あるいは夫に理解のない場合の孤独との戦い。二次被害の逃げ場のないきつさ。

親を捨てることは親だけにとどまらない。生まれ育ったなじみ深い家、土地、兄弟親戚、知人縁故すべてと切らなければ親とは切れない。すなわち、今まで自分で培ったものさえすべて捨て去らなければならない。一人夜逃げと同じことなのだ。多少の覚悟で出来ることではない。

その上、健全な母親がいれば当然得られたはずの、大人になってからの援助(実家の物理的、精神的援助)も一切得られない。場合によっては、モラハラ的な配偶者を引き寄せてしまう。人間としての旬などあっという間に過ぎてしまう。娘であれば女性という性に生まれたというだけで元々社会的にも弱者である。なのに、同性で味方であるはずの母親にまで女性性を否定され、踏みつけれられる。踏んだり蹴ったりである。

ミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)について
   「劣位の性」に生まれたことを自覚したときにその現実を抑圧ないしは否認(ミソジニーなどなかったことにしてしまう)→投影(女性が女性を差別する意識 が生まれる)「いやらしい」「媚びを売って」。簡単に言えば、性に関してマチュアでない、成熟していないのだろう。もっと簡単に言えば、幼い。分化が足り ないのだ。何事もそうだが、どちらのどんな性であれ、可能な限り早い段階で自分の性別を受け入れた方が人生楽しい。

   「女性であることの辛さを同性として理解できるのだとしたら、母は娘の人生を応援する側にまわってあげるべきだ。しかし応援と称して娘の人生に入り込んでしまってはいけない。しごくシンプルに、娘が幸せに生きることの邪魔をせんずにいよう、と思ってそれを実践するだけでも十分な応援なのだ。」

子ども側からなしえる対策
1、夫に防波堤となってもらう、、、母親の年季の入った演技力に要注意
2、「中立・客観的立場はまやかし」と心得る、、、中立的援助者は二次被害をもたらす。すなわち敵と同じ
3、逃げる、、、ほんの1週間でも意味がある。
4、関係を断つ、、、
  「長年夫との力関係、母親同士の上下関係をくぐりぬけた母親は、自分より強い力で迫られることに対して、一見従順である。そして相手の自信が少しでも揺らぐ瞬間を鋭敏に察知する。墓守娘はそこを突かれないよう、一点突破されないようにしなければならない。
  娘を決定的に失い世間体が悪くなることを何よりおそれているのであれば、その二点をストッパーにして、彼女たちの行動を制限しよう。主導権が娘のほうにある点が、逃げることとの違いである。」
5、少しずつ距離を取る
6、世代連鎖の呪縛を恐れない
7、謝罪の言葉を引き出す、、、母親が元気なうちは、無理

この最後の結論にも驚いたが、この本全体の中で一番ぎょっとした記述がこれだった。なるほど。

「母からの宅急便が怖くてたまらないという女性は驚くほど多い。」


最後の最後に、著者はとても大切なことを書いている。

法は家庭に入らず、つまり家族は無法地帯であることが誰よりもわかっているのが子ども(特に娘)なのだと思う

我が国が先進国の名に懸けて国を上げて平和と平等を唄っている法治国家である現在、見逃しがちなとても大切なことだ。「子供の人権」などという耳当たりの良い言葉に惑わされてはいけない。娘(場合によっては息子)にはまだまだ人権(人格)なぞないのだ。世の特に娘さんたち、日々自衛が一番である。

この本は続編だそうだ。本編は「 母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き 」という本だそうだ。著者はその本では「母親に理解してもらおうなんて思わないほうがいい」と匙を投げていた、と書いている。父親に関しては何をか言わんや。

子供は、親が気が付いてくれたというだけで救われる。たったそれだけのことで、それまで何があったとしても、すべてが勝手に水に流れる。その瞬間から止まっていた時間が動き始める。それまでてこでも動かなかった人生が、いきなり当たり前のように前進し始める。親自身がどんなに欠点だらけで不完全であったとしても、どんなにしんどくて辛くても、親が親自身の人生に責任を取ることの重大さ。親自身が変化を恐れずに柔軟に前進し続けることの重大さがここにあると思った。

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